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第9番を最後に中断していた交響曲を書き始め

作品93~(1953~) 1953年3月5日、スターリンが死んだ。独裁者の死は、約束どおり、ソヴィエトの社会に一時の平穏をもたらした。1956年、フルシチョフによって行われた「スターリン批判」により、スターリンの独裁体制は名実ともに崩れ去った。スターリンの死に合わせたように、ショスタコーヴィチは、第9番を最後に中断していた交響曲を書き始め、すぐに発表する。前衛的な作風ではないものの、終始音楽に悲劇的な重さが付きまとう音楽で、自身のイニシャルをドイツ音名にした「DSCH」の音列も頻出する、自伝的な作品である。この作品以降、ショスタコーヴィチの曲には「DSCH」の音列が頻繁に使われるようになる。1950年代も終わり近くになると、ソヴィエトの社会主義体制も次第に軟化しはじめ、アメリカとも協調姿勢をとるようになってゆく。「雪どけ」といわれるこの時期、ショスタコーヴィチが発表を控えていた交響曲第4番などの作品が数十年ぶりに「初演」されたのもこの頃だ。戦前、ショスタコーヴィチが個人批判される元凶となった歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』はそのままの形での上演は絶望的だったものの、ある程度改訂すれば再上演が許される状態にまでなったのだ。しかし、交響曲第13番の歌詞問題が表面化した頃、キューバへのミサイル配備計画がアメリカに非難されたのをきっかけに「雪どけ」体制は解体され、冷戦の時代に突入する。

「雪解け」後
ブレジネフ時代になり、国内では締め付けが強まるが、ショスタコーヴィチ自身の生活は安定し数々の栄誉に包まれるなど、音楽活動を続ける環境はスターリン時代と比べ格段と恵まれていた。相変わらず体制に迎合した作品もあるが、作風は芸術性が高まり、七楽章の弦楽四重奏曲第11番(1966)・マーラーの『大地の歌』の影響を受けた声楽つきの交響曲第14番『死者の歌』(1969)。豊かな響きと緊張感漂う映画音楽『リア王』(1970)などの意欲作を相次いで発表した。とくに『ブロークの詩による七つの歌曲』(1967)と弦楽四重奏曲第12番(1968)においては十二音技法に挑戦するなど、その研究心は衰えなかった。

最晩年になると、作風も哲学風で研ぎ澄まされた独特の透明感が支配的となる。交響曲第15番イ長調(1971)弦楽四重奏曲第14番(1973)・弦楽四重奏曲第15番(1974)では過去の作品からの引用が顕著になるが、そこにはすでに健康の衰えを感じ、死を意識した作曲者の思いが見え隠れする。それは政治に翻弄された波瀾万丈の人生を振り返り、達観したかのような感を受ける。また「ミケランジェロの詩による組曲」(1974)では、自身の芸術の総括をルネサンスの芸術家に譬えたものとして評価されている。

作品
ショスタコーヴィチの楽曲一覧も参照

ショスタコーヴィチの創作の中心は、交響曲と弦楽四重奏曲にあった。これらのなかでも特に有名なのが、交響曲第5番、第7番、第10番と弦楽四重奏曲第8番、第15番である。また歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」 は古今のオペラの傑作の一つとされる。

交響曲
交響曲第1番 ヘ短調 作品10 (1925年)
交響曲第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」 (1927年)
交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」 (1929年)
交響曲第4番 ハ短調 作品43 (1936年)
交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年)
交響曲第6番 ロ短調 作品54 (1939年)
交響曲第7番 ハ長調 作品60 「レニングラード」 (1941年)
交響曲第8番 ハ短調 作品65 (1943年)
交響曲第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)
交響曲第10番 ホ短調 作品93 (1953年)
交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」 (1957年)
交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」 (1961年)
交響曲第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」 (1962年)
交響曲第14番 ト短調 作品135 「死者の歌」 (1969年)
交響曲第15番 イ長調 作品141 (1971年)

弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49 (1938年)
弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68 (1944年)
弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73 (1946年)
弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83 (1949年)
弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92 (1952年)
弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101 (1956年)
弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108 (1960年)
弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110 (1960年)
弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117 (1964年)
弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118 (1964年)
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122 (1966年)
弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133 (1968年)
弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138 (1970年)
弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142 (1973年)
弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144 (1974年)
弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)

管弦楽曲・吹奏楽曲
スケルツォ第1番 嬰ヘ短調 作品1(1919年)
主題と変奏 変ロ長調 (1922年)
スケルツォ第2番 変ホ長調 (1924年)
タヒチ・トロット (1928年)
E・ドレッセルの歌劇『コロンブス』のための2つの小品 (1929年)
ジャズ・オーケストラのための第1組曲 (1934年)
5つの断章 (1935年)
ジャズ・オーケストラのための第2組曲 (1938年)
荘厳な行進曲 (1941年)
バレエ組曲第1~4番 (1950~53年)
祝典序曲 (1954年)
ノヴォロシースクの鐘 (1960年)
ロシアとキルギスの主題による序曲 (1963年)
交響詩「十月革命」 (1967年)
交響的哀悼前奏曲 (1967年)
ソヴィエト民警の行進曲 (1970年)
インターヴィジョン (1971年)
「緑の工場」のための序曲
2つの前奏曲(アルフレート・シュニトケ編曲)

協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35 (1933年)
ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102 (1957年)
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99) (1948年)
ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129 (1967年)
チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 (1959年)
チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 (1966年)
ドタキャン ターム みゅすか オプテ オースト ヌクレ バコマ ソプラ シャン ライナ オオボ チョン ネコン ブロス ロード おおだま バリア チャーム ヤブコウジ シアター 風模様 フェニック ジェット サーチ群青 トウバ マルア コンバレー サンベ ジャンパ アパチャー フィジカ キュリー スカンジ シガー タワナ マンガ グーイ デュオ トリレ ラジアン ピーチ パール チーム ビースト オシロ エリトリア トラッ トデー 樹やしき リュウノヒゲ

室内楽曲
弦楽八重奏のための2つの小品 作品11 (1927年)
チェロ・ソナタ ニ短調 作品40 (1934年)
ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57 (1940年)
ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8 (1923年)
ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67 (1944年)
ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 (1968年)
ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 (1975年)
弦楽四重奏のための2つの小品 (1931年)
ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)
チェロとピアノのためのモデラート
3つのヴァイオリン二重奏曲
ハープ二重奏のためのポルカ 嬰ヘ長調
3つの小品

オペラ
鼻 (1928年)
ムツェンスク郡のマクベス夫人 (1934年)Op.29
カテリーナ・イズマイロヴァ (1963年)「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の改訂版,Op.114
モスクワ・チェリョームシキ (子供用オペレッタ) (1958年)Op.105
賭博師(1941年)
大きな稲妻

合唱曲
オラトリオ「森の歌」 (1949年)
カンタータ「わが祖国に太陽は輝く」 (1952年)
混声合唱のための無伴奏合唱曲十の詩曲(1951年)
バラード「ステパン・ラージンの処刑」 (1964年)
反形式主義的ラヨーク

声楽曲
日本の詩人の詞による6つの歌 (1928年)
スペインの歌 (1956年)
風刺 (1960年)
マリーナ・ツヴェタエワの詩による6つの歌曲
アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲
エフゲニー・ドルマトーフスキーの詩による4つの歌曲
エフゲニー・ドルマトーフスキーの詩による5つのロマンス
レールモントフの詩による2つのロマンス
プーシキンの詩による4つのロマンス
プーシキンの詩による4つのモノローグ
自作全集への序文とその序文についての短い考察
ミケランジェロの詩による組曲
歌曲集「ユダヤの民族詩より」

バレエ音楽
黄金時代 (1930年)
ボルト (1931年)
明るい小川 (1935年)
お嬢さんとならず者 (1962年)

映画音楽
新バビロン 作品18(1929年)
女一人(1931年)
黄金の丘 作品30(1931年)
呼応計画 作品33(1932年)
司祭とその下男バルダの物語 作品36(1935年)
愛と憎しみ 作品38(1934年)
マクシムの青年時代 (1935年)
女友達 (1935年)
マクシムの帰還 (1937年)
ヴォロチャーエフの日々(1937年)
ヴィボルグ地区 (1938年)
友人たち (1938年)
偉大なる市民第1部 (1937年)
銃を取る人 (1938年)
偉大なる市民第2部 (1939年)
おろかな子ねずみ (1939年)(消失)
コルジンキナの冒険 (1940年)
ゾーヤ (1944年)
素朴な人々 (1945年)
若き親衛隊 (1948年)
ピロゴーフ (1947年)
ミチューリン (1948年)
エルベ河での邂逅(Встреча на Эльбе) (1948年)
ベルリン陥落 (1949年)
ベリンスキー (1950年)
忘れがたき1919年 (1951年)
偉大な川の歌 (1954年)
馬あぶ (1955年)
第1軍用列車 (1956年)
5昼夜 (1960年)
ハムレット (1964年)
生涯のような1年 (1965年)
ソフィア・ペロフスカヤ (1967年)
リア王 (1970年)
永遠の使者
戦艦ポチョムキン (この映画のために曲が作られたわけではなく、1976年の復刻時に既存の交響曲が使用された)
チェリョームシキ

劇付随音楽
南京虫(1929年)
射撃(1929年)
人間喜劇(1933年-1934年)

ピアノ曲
5つの前奏曲(1921年)
3つの幻想的な舞曲(1925年)
2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)
ピアノ・ソナタ第1番(1926年)
10の格言集(1927年)
ピアノ・ソナタ第2番(1943年)
24の前奏曲(1933年)
子供のノート(1944年)
陽気な行進曲(1949年)
24の前奏曲とフーガ(1952年)
2台のピアノのための小協奏曲(1954年)
グリンカの主題による変奏曲(1957年)

編曲作品
ドメニコ・スカルラッティの2つの小品 作品17
ムソルグスキー 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の管弦楽編曲 作品58
ムソルグスキー 歌劇「ホヴァーンシチナ」の管弦楽編曲 作品106
ムソルグスキー 歌曲集「死の歌と踊り」の管弦楽編曲
A.ダヴィデンゴの2つの合唱曲の管弦楽編曲 作品124
ロベルト・シューマン チェロ協奏曲 イ短調の編曲 作品125
ストラヴィンスキー 詩篇交響曲の4手ピアノ用編曲
リムスキー・コルサコフ 私はほら穴で君を待っていたの管弦楽編曲
チシチェンコ チェロ協奏曲第1番の再オーケストレーション
ヨハン・シュトラウス2世 「ウィーン気質」の編曲
ヨハン・シュトラウス2世 「観光列車」の編曲
オネゲル 交響曲第3番 典礼風の4手ピアノ用編曲
ベートーヴェン 蚤の歌の管弦楽伴奏用編曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第8番 悲愴の第2楽章の管弦楽編曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第32番の第1楽章の管弦楽編曲
マーラー 交響曲第10番の4手ピアノ用編曲
シューベルト 軍隊行進曲の管弦楽編曲
ロシア民謡「ヴォルガの舟歌」のオーケストレーション

自作の編曲
歌劇「鼻」のピアノ編曲
交響曲第3番のピアノと声楽用編曲
バレエ「明るい小川」よりモデラート
主題と変奏 作品3のピアノ用編曲
交響曲第4番の2台ピアノ用編曲

その他の作品
兵士(1917年頃)
森の中にて
自由の讃歌
ソヴィエト讃歌
国歌(ソヴィエト連邦)
赤軍の歌(アラム・ハチャトゥリアンとの共作)
ポルカ
4つのワルツ
平和の鳥
儀式用行進曲
2つのマズルカ
我が祖国の栄光を歌う
創作ジャンルは宗教音楽以外のほぼ全てにわたる。労働歌で1917年から1944年の間ソヴィエト連邦国歌でもあった『インターナショナル』の管弦楽編曲もある。

著作
本人の著書と称されているものが、日本では2冊出版されている。ソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳 中央公論社、1980年)と、レフ・グリゴーリエフとヤーコフ・プラデークの手による『ショスタコーヴィチ自伝――時代と自身を語る』(ラドガ出版社訳 ラドガ出版社〔発売:ナウカ〕、1983年)である。前者はもともと、1979年にアメリカで出版されたものである。ショスタコーヴィチの評価をめぐって論議を巻き起こした本であり、当初から偽書であるという説が叫ばれていた。詳細はショスタコーヴィチの証言を参照。

後者は1980年にソ連で刊行された。「自伝」とあるが、正確には、ショスタコーヴィチが生前にさまざまな媒体に発表した文章などを年代順にまとめたものである。ヴォルコフやマクシム・ショスタコーヴィチは、「実際には、別人が書いていたのだ」と主張している。しかし、すべての記事はショスタコーヴィチの生前に、本人が目を通した上で公式見解として発表されたものばかりであり、後世の研究者にとっては貴重な「第一次文献」であることには変わりない。

ショスタコーヴィチはさまざまな人物と頻繁に手紙をやりとりしており、数冊が出版されている。邦訳書は2006年現在、存在しない。とりわけ有名なのは、音楽学者イサーク・グリークマンと行われた書簡集である。1993年にロシアで出版されたもので、英訳されている(Story of a Friendship, trans. by Anthony Phillips, London: Faver/Ithaca, N.Y. : Cornell University Press, 2001.)。

また、2006年9月25日、ショスタコーヴィチ生誕100周年を記念し、ショスタコーヴィチと公私共に親友だったイワン・ソレルチンスキーとの往復書簡が出版されている。これは、イワンの息子であり音楽学者のドミトリーが編纂した書籍。ショスタコーヴィチとソレルチンスキーが知り合った1927年から、ソレルチンスキーが急逝した1942年までにやりとりされた、現存するほぼすべての書簡が掲載されている。

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2009年01月26日 16:01に投稿されたエントリーのページです。

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